中国重慶市への出張記
2月26日~3月9日の間、中国の重慶市へ出張で出かけてきました。今回の出張は、重慶市でモノレール及び
地下鉄の運営をしている「重慶市軌道交通有限公司」という会社から、駅の商業施設の開発をやりたいので、日本
のノウハウを教えて欲しいというものでした。
今回は、相手側が駅の商業施設の開発について、何を望んでいるのかを把握すると共に、今後の協力が可能かど
うかを確認するためのものでした。
どうして、このような要請が私共のところに来たかというと、この重慶市のモノレールを最初に建設する際に、
協力したのが当社の前身である「海外技術協力協会(社団法人)」であったからです。
本当であれば、4月に14期の皆さんをベトナムにご案内する予定でしたが、この案件が7月頃までかかりそう
で、ベトナムの仕事は、その後になりそうです。
重慶市へは直行便がなく、北京か上海経由で入るのですが、今回は北京経由で入りました。日本のマスコミは、
盛んに北京の空気は、スモッグでひどいとやっていましたので、我々全員、マスクを大量に持っていきましたが、
確かに、空気は良くないのですが、現地でマスクをしているのは、我々だけでした。結局、我々も最後にはマスク
を付けるのを止めてしまいました。
また、重慶市に入る前の、北京では、北京~天津間の新幹線に乗ってきました。この区間は、ドイツの協力で作ったもの
だそうですが、日本の新幹線に劣らず、快適なものでした。
北京の寒さは、東京よりも寒いのではと思って行きましたが、幸い、ほぼ東京の気温と同じ位で、助かりました。
重慶は、北京よりも緯度が南ですので、日本の5月位の気候で、コートなしで過ごせました。
重慶の概要を、「ウイキペデイア」の資料で説明しますと下記の通りです。
重慶市(じゅうけいし/チョンチンし、中国語:重庆市、英語:Chongqing)は、中華人民共和国の直轄市である。
国家中心都市の一つに指定されている。
重慶市の人口は2884万人(2010年)[1]。市の面積そのものが北海道並みに広いが、都市圏人口に限れば、2011年では
671万人であり、中国第7位、世界では第45位の都市部である[2]。
重慶市は長江上流の四川盆地東部に位置し、東は湖南省と湖北省、西は四川省、南は貴州省、北は陝西省と接する。
東西470km、南北450kmにわたる広大な面積を持ち、総面積は8.24万平方キロメートルである。
市の中心部では北から嘉陵江が合流し、涪陵で烏江が合流する。
中国の物流の大動脈である長江沿岸に栄えた重慶は古くから水運が発達していたが、三峡ダムの完成後は1万トン級の船舶
も直接重慶まで航行することができるようになり、併せて整備される保税区との相乗効果で重慶港は内陸の国際コンテナタ
ーミナルとして大きな発展が見込まれている。
重慶市の2011年の市内総生産は約10011億元(約1570億ドル)であり、中国の都市では第7位である。一人当たりのGDPは
約5443ドルであり、これは中国本土の平均的な数字である。
中華人民共和国成立後、内陸部工業化の重点都市となり、中ソ対立の時期には上海市や東北部から工場が四川省などへ
移転し重慶にも多額の国家投資が1976年まで投入された。
重慶は機械工業、総合化学工業、医薬品、電子機器、電力設備、食品加工、建築資材、ガラス工業、冶金などの各工業が組み
合わさった一大基地となり、一時は「工業は重慶に学べ」のスローガンすら出た。
一時中国6大工業基地の一翼となるが、内陸部から資本の撤退により衰退をしていった。1980年代の改革開放後、上海など
沿海部の都市が目覚しく発展したのに対し、重慶は発展から取り残され、以前とは逆に経済的に立ち遅れた地域になっていた。
1997年内陸部振興のため重慶直轄市が新設され、中国人民銀行重慶営業管理部が設置されるなど、再生の努力がなされてい
る。現在の主力産業は自動車産業(自動車、オートバイ)であり、また中国内最大の軍事設備生産の拠点でもある。
この写真でも分かりますように、長江(揚子江)ともう1つの河が合流する中州にできた街です。
河と周りの山に囲まれた起伏の激しい地形のために、他の都市のように地下鉄の建設が難しく、
モノレールが主体の都市交通となっています。現在では、3本のモノレールと1本の地下鉄で、
約130km、一日、約100万人の乗客を運んでいます。
行く前に想像していた街とまるっきりイメージが異なり、上の写真のように、日本の東京の月島
の高層マンションが、100カ所くらいある大都市でした。
確かに、都心部だけの人口で約670万人ということですから、うなづけないこともありません。
これらの都市交通網も、高層マンション群も、ここ15年位で作り上げたという事ですから、
そのスピードには、驚きます。
ただ、サラリーマンの月給が月5万円程度という事ですから、ベトナムのホーチミンの倍くらいの
所得という感じです。
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